野川流域の植物の保護活動


   ■ カントウタンポポの保護活動

私たちが春先に見るタンポポは、西洋タンポポです。西洋ヨウタンポポは食用にするため、明治時代に
札幌農学校がアメリカから輸入したものと言われています。
自家受粉して結実するために、繁殖力が強く急激に拡散して行き、やがて北海道中に広がり、津軽海峡をも
越えて、今日では日本中に蔓延しています。

一方、日本タンポポは他花受粉であり、同じところに同じ時期に開花して、更に昆虫がその両方に訪花しないと
受粉できないので、その確率は低く、繁殖力が弱い植物です。
西洋タンポポと日本タンポポは外見で区別できます。花の下の総包(そうほう)が、 西洋タンポポはそり返り、
日本タンポポはそり返らないのです。

野川周辺では、以前は時々、日本タンポポ(関東タンポポ)を見つけるのは結構大変で、宅地化が著しく
緑地は減少し、関東タンポポの危機が叫ばれていました。
そこで、野川ほたる村では、平成9年に関東タンポポを保護し広げて行こうと考えました。
場所は、野川の二枚橋から東八道路の富士見橋の区間です。

まず、春先にこの区間で西洋タンポポの花が咲くと摘み取り結実しないようにしました。毎年、たくさんの
西洋タンポポの蕾や花を摘み、白い樹液が変色し手が真っ黒になりました。

保存禁止

関東タンポポを見つけると、その花粉を別の関東タンポポを探して、人手で運び受粉させました。
種子ができると、採取し周辺に撒き、また、自宅でも、種子をポットに撒いて観察しました。
これを5、6年繰り返していると、所どころに、関東タンポポが見られるようになってきました。
関東タンポポは、受粉さえできれば、結構繁殖力があるのだとわかりました。


勇気づけられて、引き続き、西洋タンポポを摘み続けて、関東タンポポの人工授粉と種撒きを続けていると、
平成20年時点では、この区間では、あちこちで簡単に見られるようになって来ました。
そして、平成25年頃には、野川の二枚橋から東八道路の富士見大橋の区間で、たくさん見られるようになりました。



■ カントヨメナの保護活動

明治時代に、アララギ派ロマン主義の小説家・伊藤左千夫が書いた名作 『野菊の墓』の舞台は千葉県の
矢切りの渡し付近だそうです。主人公が野菊を摘み恋人に「君は野菊のような人」だと告げるシーンに
出てくる美しい野菊はカントウヨメナだそうです。

昔は、湿り気のある野原や田んぼの畦などどこにでも生えていたカントウヨメナは、野川流域では都市化
の中でどんどん減少してしまいました。その貴重なカントウヨメナの群落が第一調節池内にありましたが、
自然再生事業で田んぼが造成されることになり、ほたる村は管理者に提案し、カントウヨメナの群落を
他の位置に移植し保護して来ました。


ヨメナは、通称野菊の一種で中部地方以西の本州・四国・九州に分布し、春の若葉は食用となり、
和名「嫁菜」の由来となっているそうです。一方、カントウヨメナは、ヨメナと比べて葉が薄く、葉の縁
のギザギザが粗いのが特徴だそうです。また、食味はあまり良くないそうですが、気品があり美しさがあります。
みんなで大切に保護して行きたい植物のひとつです。








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